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【デレマス考】アイマス シンデレラガールズ第二期キービジュアルで花京院は何を伝えたかったのか?(その1)

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メッ…セージ…です…これが精いっぱい…です

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 いよいよ「アイドルマスターシンデレラガールズ」2ndシーズン開始が迫った今、皆さんは受け取られただろうか、花京院典明からの最期のメッセージを。

 

 飛べるよ ほら 目に見えない ハイエロファント・グリーン!!

 SAYいっぱい輝く!! 輝くスーパースターダストクルセイダース!!

 

 ともかく公開された2ndシーズンキービジュアルを巡っては様々な解釈・深読み・邪推が飛び交い混沌を巻き起こしていますが、ここで1stシーズンのおさらいと2ndシーズンへの展望を兼ねて筆者が収集・検討した解釈のいくつかをまとめておきたいと思います。

 ここで語られる解釈は筆者独自のものではなく、ブログやTwitter等で熱心に語られていたものの影響を多く受けていますので、「それ俺のアイディアだろ、パクってんなよ!!」と怒られたら謝るしかありませんが、具体的に誰かのアイディアを丸パクリしているってことはない……はず。

 同時多発的に凄まじい数の人が解釈合戦をしていたので他にもすでに似た解釈はあるはずです。細かくは各自検索をお願いします。

 花京院ネタも自分がTwitterに書き込む前にすでに物凄い数の人が同じ反応してたし。

 

 

 

その1・『鏡』の世界

鏡に「中の世界」なんてありませんよ…ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから

 

 キービジュアル最大の謎、それは時計型アーチに浮かぶ「VII」の文字。

 言うまでもなく本来そこにあるべきは「12」をあらわす「XII」であり、「7」をあらわす「VII」ではまったく時計の意味をなさない。

 これについて、「スタッフの単純ミスではないか?」というミもフタもない意見も多くあり、実際のところ筆者もその可能性は捨てきれないのだが、キービジュアル発表後「デレラジA」に出演した際、石原Dはこの件に触れなかったので恐らくミスではないのだろうという前提で話を進める。

 

 現状もっとも有力な仮説は半壊した時計アーチが上半分しかないのと同様に、

 

「VII」の文字も上半分でしかない

 

 とする説である。

 つまり鏡合わせにすると「XII」となり、また「7」を二倍するとシンデレラプロジェクトのメンバー数である「14」となる。

 この説が高い信憑性を持つのはこれまでの様々なキービジュアル、PV、そしてTVアニメのOPや本編に至るまで「鏡」のモチーフが頻繁に使われているからだ。

 全ての物語は「そっと、鏡を覗いた」ことから始まる。

 

 ここで、「シンデレラガールズ」なのに何で「鏡」なんだ? シンデレラはガラスで鏡といったら白雪姫じゃないのか?

 という疑問を持つ人もいると思うが、実は「シンデレラガールズ」にはシンデレラ以外の童話モチーフも多く入っているのである。

 わかりやすいのは渋谷凛とPの関係性をあらわす「美女と野獣」モチーフ、第一弾Cute属性キービジュアルやCandyIslandの「お菓子の家(ヘンゼルとグレーテル)」などだろうか。

 

 そもそも、本家「アイドルマスター」の蒼い鳥・眠り姫といった名曲群、四条貴音のキャラに込められた「かぐや姫」要素からもわかるようにアイドルと童話の親和性は非常に高い。

 「アイカツ!」や「プリパラ」では童話を元にしたドレスやアピールが定番となっているし、アイドルではないが現在放送中のプリキュアシリーズの最新作「Go!プリンセスプリキュア」でもヒロイン達は童話のお姫様を題材とした変身を行う。

 女性向けでも「うたの☆プリンスさまっ」のようにアイドルをお伽話の王子様になぞらえるのはお約束だ。(うたプリは元々、リアル王子だったりロボだったり神だったりするアイドルも多いが)

 

 また「鏡」は白雪姫モチーフであると同時に原作ゲームの「自分自身と向かい合う」特訓システムのイメージも入っている為、ガラスの靴に匹敵する「シンデレラガールズ」の象徴として機能するのである。

 

 そして「鏡」によるもう一つ重要な童話モチーフが、

 

「鏡の国のアリス」

 

 むしろ白雪姫の「真実を映し出す鏡」よりも、こちらの「異世界に迷い込む入り口としての鏡」のモチーフの方がアイドルアニメの本質を突いている。

 あの薄着に裸足姿の少女達は、魔法の時を待つシンデレラであると同時に、芸能界という幻想の世界から抜け出せなくなってしまったアリスでもあるのだろう。

 

 アイドルをテーマとして物語を描く以上、「虚と実」の葛藤は避けられない。

 直近の作品だと「Wake Up'Girls!」と「少年ハリウッド」はあくまでリアリズムを基調とした世界を舞台に設定することで、その現実の上に巨大な虚構を築こうとするアイドルなるシステムの価値と課題をこれでもかと生々しく描き出していた。

 そして、一見そのような生々しさとはもっとも縁遠いと思われていた「ラブライブ!」は劇場版において極めて巧妙にこの「虚と実」のテーマに踏み込んできた。

 劇場版「ラブライブ!」は恐らく観客によって見えるものがまるで違う。あれはスクリーンという「鏡」によって観客自身の願望を映し出す、本物のSF装置だ。(個人的には、ついに京極尚彦はマジでプリリズ/プリパラシステムを作っちゃったんだなと戦慄した。だから次作が「GATE」なんだよ!!)

 

 話を「シンデレラガールズ」に戻す。

 シンデレラガールズにおける「鏡」には、更にまだ意味が隠されている。

 それは、

 

物語の構成そのものが鏡写しになっている

 

 というものだ。

 1stシーズンは大きく1話~7話と8話~13話に二分割される構成になっている。

 卯月・凛・未央の三人が出逢いアイドルの世界に飛び込み、成功と挫折を経験しリスタートを切るまでの、いわば「NewGenerations」編。

 シンデレラプロジェクトのメンバーがそれぞれにユニットを結成し、バラバラだった14人が一つのチームとして団結していく「ユニット」編。

 TV本放送ではその間に特別編が挟まれたので、(不可抗力だろうが)より二分割の印象が強くなっている。

 そして――

 

「NGs編」が出題編、「ユニット編」が解答編になっている

 

 どういうことか?

 つまり、「NGs編でPと卯月・凛・未央の四人は何を間違えて、本当はどうすればよかったのか」を「ユニット編」が解き明かす構造になっているのである。

 いや、考え過ぎじゃね、と言われたらそれまでなのだが、とりあえず筆者はそう受け取ったのでそう書く。

 例を上げていくと。

 

・「6話でPとNGsはコミュニケーション不足により単純な認識の相違を埋められず関係性が破綻する」→「8話でPは蘭子との積極的なコミュニケーションを試み、関係の破綻を回避する」


・「7話でNGsは互いを助け合えずチームの崩壊を止められない」→「9話でCandyIslandは互いを助け合いチームを勝利に導く」


・「5話・6話のNGs(とラブライカ)はPの準備してくれた素敵な衣装と歌でライブをするだけで自主性がない」→「10話でPは凸レーションの自主性に期待し、凸レーションは見事にそれに応える」


・「1stシーズンを通してNGsの三人は意見のぶつけ合い、ケンカをまったく経験していない」→「11話で*(アスタリスク)は個性の激突の先にこそ真の友情があるのだと示す」


・「6話で未央はリーダーの重責を受け空回りするが、卯月と凛はそのサポートができない」→「12話でリーダーとなった美波はその重責を受け13話で倒れるが、アナスタシアと蘭子がそれをサポートする」
 

 ここで上げたのはほんの一例だが、これはあくまで物語の構成上の連動ポイントだけであって、もっと直接的な「作画・演出の反復」となると数えきれない。

 これをアニプレックスの鳥羽Pは「高雄監督は韻を踏むのが上手い」と表現していて、なるほどこれはラップなのか!! と感銘を受けた(たぶん違う)。

 ちなみに高雄演出の代名詞ともなっている「部屋の電球が切れる」「いきなり雨が降ってくる」「後ろの看板にこれでもかとそのシーンの心情が直接描いてある」といったものも、実はこの「韻を踏む」というより大きな演出プランの一環であって個々のシーンについてはわりと天丼ギャグに近いのだと思う。(何せ、高雄監督が最初にアイマスに関わった「アニマス2話」は「小鳥さんがわざと部屋を暗くして妄想に耽っている」というギャグから始まる)

 

 1stシーズン内ですでに構成が鏡写しにされている。

 2ndシーズンのキービジュアルに鏡写しの仕掛けがされている。

 

 この二つが事実だとするなら、2ndシーズンで起こるのは、

 

1stシーズンの更なる反復

 

 に他ならないだろう。

 恐らくは1話~3話に相当する14話~16話で新たな出逢いと新たな世界の可能性が示され、期待と不安の高まりは中盤での大きな挫折に繋がり、そして最後には再び偽りの輝きを捨てて真実の絆を求める展開になる。

 

 ――うん、当たり前の予想だな!!

 

 別に反復しなくても、普通にやればそりゃそうなるだろうという気がしてきたが、それはともかく「鏡合わせ」を意識しておけば細かい伏線を拾いやすくなる。

 また「鏡写し」であるのなら、反復ではなく「反転」ではないかという予想も立つ。

 つまり1stシーズンの流れとは逆に、シンデレラプロジェクトが徐々にバラバラになっていき、最後は卯月独りが残される……というもの。

 あまりに救いがないのでさすがにそのままやるとは思えないが、島村卯月というキャラが抱えた深刻な問題、そして最初にして最後の「鏡」の対象を考えると、それもあり得なくはないのだ。

 

 そう、「シンデレラガールズ」の鏡が本当に写しているもの。

 あるいは、「シンデレラガールズ」を所詮は虚像に過ぎぬと告発する実像。

 

TVアニメ版「アイドルマスター」&劇場版「アイドルマスター輝きの向こう側へ!」

 

 との鏡写しの関係性が、島村卯月に影を落とす。

 

 

 次回は、「島村卯月から伸びる針」について考えたい。

 

その2・『夢』の真実

違う スタンドの夢じゃあなくて 夢のスタンドなんだ!!

――わからんやつだなッ!!!!

 

To Be Continued