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【デレマス2nd速報感想】アイドルマスターシンデレラガールズ第18話、カワイイボクとハードボイルドキャンディーアイランド(あんきら編)

 

 

 アイドルアニメとは一つの例外もなく、「ジャンル・ハードボイルド」なのです。

 たまに勘違いをしている人がいるんですが、アイドルアニメというものは断じて「カワイイモノが、そのカワイイを何かに庇護されて、永遠にカワイイままで居続ける」なんて話ではないのです。むしろ逆。

 「カワイイ」は常に脅かされ、奪われかけ、穢されそうになる。

 そんな「カワイイ」をいかに守り、貫き、他の誰のものでもないこれは私の「カワイイ」なんだと叫び続けることができるか? そこにアイドルものの本質がある。これは「カワイイ」をその人の魅力・個性と置き換えれば男性向けに限った話ではなく女性向けでも基本的な命題が同じであることは言うまでもないと思います。

 「カワイイ」とはプライドであり、譲れない信念であり、己の証明であり、人生を懸けるに値する夢であり、無限に捧げる愛であり、つまりはハードボイルドロマンチズム……!!

 それは江戸時代から伝わるガラス細工にも似て、儚くも美しい。

 

 とか何とかで、18話についての話。(時間かかって終わらなかったので分割します)

 

 この回、基本的な構成は今までよりもずっとシンプルで明解です。脚本担当の綾奈ゆにこが手掛けた「普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。」でも描かれていた、街のお仕事を紹介することで自分達の「アイドル」という職の意味と在り方を見つめ直し成長するという筋立ても非常にわかりやすい。

 CIを「杏&きらり」と「かな子智絵里&幸子」に分断して進める仕掛けに関しても、素晴らしく上手いが別にトリッキーなことはしていない。これまでの綾奈ゆにこ回(5話ストライキ回、10話凸レーション迷子回、13話サマフェス回)と比較しても一番素直な内容になっていると思う。

 実際、見ている間も、見終わってしばらくしても、今回はとにかくストレスのかからない優しくて温かい良い話だったなー、とだけ感じていた。

 だが、色々と頭の中で反芻して、録画で確認をして、いざ感想を書こうかとなった段階になって……あれ、今回って実は過去のどの回よりも過酷な問題にぶち当たっていないか? と、ようやく気付いて震えた。

 

 具体的に何が、と言うとまた長くなるのでまずは今回最大の要素である「あんきら」について書いていきます。

 

・「あんきら」は最高の相棒(バディ)なのか?

 

 まず、基本的にはファン用語である「あんきら」をアニメ時空で再現する為に、「とときら学園」→そこで杏ときらりがランキングコーナーやるから「あんきランキング」→番組視聴者の間にごく自然と「あんきら」というコンビが認識される……二重三重の手続きを踏んでいるところがまず恐ろしい!!

 前回、何の悪ふざけだよと思われた「とときら学園」が実は「あんきら」の為だったというのは改めて、こういうのがあるから各話終わった段階であれこれ言うと撃墜されるんだよなぁとしみじみ思った……園児服が「杏の幼児体型」を強調してそれが「きらりの高身長との対比」を強調して杏を悩ますんだよ……わかんねーよそんなことになるなんて!!

 そして、ついに現れたファン待望の「あんきら」こそが、とんでもない爆弾を投下してくる。

 

「杏が呼ばれたのは、杏ときらりが並んだら面白いからだよ。同い年なのにこんなに違うって」

 

 これ、誰を殴ってるって何よりも「あんきら」を無邪気に楽しみにしていたファンを全力で殴っている。

 お前達が待ち望んでいたこのコンビは、本質的には残酷ショーなんだと!!

 このセリフが凄いのは、杏は恐らくそのことを最初の最初からずっとわかっていたのであろうということ。それによって1st序盤からの二人の関係性、杏がずっと取っていた態度の意味が変わってくるということ。

 杏は何で、きらりから逃げまくっていたのか?

 あの時点から杏は、きらりとだけは組まされるわけにはいかないと認識していたのではないか。二人が最初から組んでしまったら、それこそ互いの身体的特徴をネタにされるだけになってしまう。それはきらりを深く傷付けアイドルへの夢を結果的に妨げる。

 「あんきら」を拒否していたのは杏自身だった。そしてPも二人を組ませることの危うさを正しく理解していた。だからこそのCIと凸レーション、杏は保護者として堂々と振る舞うことが許され、きらりは元から小さく元気な二人と組むことで特殊な個性を奇異な視線で見られる段階を通過できる。

 Pはきらりに対しては本当に繊細に見ていて、かな子と智絵里を杏離れさせる流れには積極的に乗るが杏ときらりを組ませる点には最後まで懐疑的なままでいる。かな子と智絵里の成長は確信できているが、きらりが耐えられるのかどうかには確信がない。

 それほどPにとっても「あんきら」は毒。面白いのはわかりきっているが、それをやってしまったら何かが決定的に壊れるかも知れない。

 そんな状況で、誰よりも強く「あんきら」を求めたのが、

 

「きらりは、杏ちゃんといるきらりが大好きだよ」

 

 きらり自身であるということが、どれほどの想いに支えられてのことなのか。

 ここでのきらりは、「カワイイ」とか「尊い」で済まされるレベルを遥かに超えている。凄まじいのは一連の会話のなかできらりは一切、

 

 自分が「あんきら」によって傷付いている。

 

 という事実はまったく否定しない。

 杏の言う通りであり、Pの不安は見事に的中しており、きらりは自分のコンプレックスが「ネタ」として消費されることに本来なら耐えがたいほどの地獄の苦しみを味わっている……!!

 けど、みんなが楽しんでくれているのは嬉しい。アイドルのお仕事だって楽しい。何より大好きな杏と一緒にいられることが幸せ。

 

「って、思ってる。だから笑顔でいられるんだよ」

 

 この「って、思ってる」の重みな!! 松嵜麗のハピハピからのニュアンス変化な!!

 諸星きらりという少女がアイドルとして生きる、そうとしか生きられないということの意味。絶対に誰にも見せない「カワイイ」デコレーションの下に隠されている本当の自分。

 それをほんの少しだけ、杏にだけは見せる。けど杏に甘えてみせるのもそれは杏を安心させる為で、きらりが孤独な戦士であることはきっと生涯変わらない。

 杏もそれはわかっている。杏もまた孤独な道を選んでいるから。誰にも理解されないであろう生き方を決めている。

 この「あんきら」の関係性を、果たして何と呼んだらいいものか!?

 

 ……自分は1stでCIと凸レーションが発表になり、「あんきら」が引き離されていると最初に知った時、「二人で組ませると共依存になっちゃうからまずは離しておくんだな」などと安易に考えていた。

 甘い!! 甘過ぎる!! それこそアイドルアニメ舐めてんのか!!

 誰かに何かに依存して生きていけるほど、世界は優しくない。ハードでなければ生きていけない、けどハピハピでなければ生きている資格がない。

 そういうギリギリのサバイバルを象徴する存在が「あんきら」。二人並んで立つことで、ちょっとばかり仕事終わりのキャンディが美味しくなる。その程度のかけがえのない関係……。

 

 ちなみに「あんきら」への考察について、監督の高雄統子は「アニメファーストセット」のインタビューでかなり熱心に語っていて、恐らくこの「あんきら」の取り扱いにこそ「シンデレラガールズ」のアイドル観や物語の妙味が凝縮されているのだと思う。

 社会に適合できないモノがそれでも社会と繋がっていたいと切実に願った時に、最後の拠り所となるのが「芸能・見世物」である……というのはとにかく基礎の基礎の話であって、それは未だにリアルアイドルや声優にだって連綿と受け継がれている揺るぎない真実なんだよね……「あんきら」はそういうことまで考えさせる。

 

 と、「あんきら」だけで終わらなくなったので「かな子&智絵里」、そして誰よりもハードボイルドな生き様を見せるアイドル「輿水幸子」についてはまた明日。