【日々適当】2015年夏アニメのトレンドは「政治」と「ゾンビ」?
ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨン 2 承 (初回生産限定版) [Blu-ray]
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じかんがない。(いつもの)
そしてネタもない。あっても今日の残り時間では書けない。なので、いつもながら本当に適当に印象だけ思考メモとして書き散らします。論旨も結論も特にないのであしからず。
今期のアニメで目立つのは「政治関係」ネタと「ゾンビ」。
ぱっと思い出して上げていくと、
・政治(国政・軍事・市民運動など)ネタ
GATE~自衛隊彼の地にて斯く戦えり~
ガッチャマンクラウズ インサイト
アクエリオンロゴス
下ネタという概念が存在しない退屈な世界
乱歩奇譚
城下町のダンデライオン
ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨン
(赤髪の白雪姫)
・ゾンビネタ
がっこうぐらし!
オーバーロード
ケイオスドラゴン
(戦姫絶唱シンフォギアGX)
(青春×機関銃)
政治関係について気になるのは2014年には多かったテロリズムをメインにした話が減って選挙とか市民運動といったわりと真っ当な手続きで政治参加する話が増えている点。「下セカ」ですら下ネタテロと言いつつ、あれは情報戦を仕掛けて市民の思想を誘導し動員をかけようという現実志向の革命運動なので、やってることはとても理にかなっている。(そして、TV放送でオナホの作り方を紹介するのも表現規制批判として恐ろしく有効にはなっている)
そして「ニンジャスレイヤー」はイッキウチコワシ編に入ってから全共闘ネタを扱っているわけですが、そこに現在の貧困デモやら何やらの要素が組み合わさった結果、他のどんな作品よりも現代日本に突き刺さる話になっているのが非常に面白い。
全共闘ネタ自体は押井守からの流れで「攻殻機動隊」シリーズなどにもずっと反映されていたんだけど、最新作の「ARISE」からはその匂いがほとんど消えて(新劇場版は未見)ニンジャの方にその要素が大体流れ込んでいるのは何なんだ?
トリガースタッフ関係だと「グレンラガン」も「キルラキル」も体制と反体制で揺れ動く話ではあったし、そもそも「忍者もの」ってお上の命令と市井の人々の板挟みにあって抜け忍になって……みたいなテーマはお約束だから意外と政治テーマ化していくのは自然なのか。ニンジャコワイ。
で、そのニンジャの最新話で思想なく動員される市民達を「ゾンビー」に喩えていたわけですが、これは「ガッチャマンクラウズインサイト」でも自分で考えない市民を「猿」と呼んでいるのに通じる。「アクエリオンロゴス」も最新話で敵ボスが似たような感じでSNSで悪意をバラ撒く人々を糾弾している。「乱歩奇譚」も「ハマトラ」の時と同じノリでそういう「市民」への突っ込みが非常に多い。
何か全体的に批判の対象が、「なんもかんも政治が悪い」から「なんもかんも市民がバカなのが悪い」になってきていて、たぶんその感性の変化がさっき言った「テロリズムから市民運動へ」の描写の変化になってきている……のかな? そのうえで市民運動も特に肯定されているようには見えないのでまた昔とは違った閉塞感が滲んできているのだが。
ぶっちゃけ、こういう政治絡みの話はアニメ越しにでもややこしくて苦手だ。
そこで、ゾンビが流行っている話になる。
といってもゾンビネタなんてそれこそ毎期何かしらあるので幾つか被ったくらいでは全然珍しくもないんだけど、「がっこうぐらし!」の日常のズレとしてのゾンビ描写が非常に秀逸なのと、それと比較しての異世界でアンデッド(ゾンビ)化したことで日常的な倫理観を失いながら内面的には正気でいる「オーバーロード」のモモンガ様の態度が、BS11で連続で見ていると好対照でありつつ相互補完しているように思える。
「ゾンビ」というのは日常を侵食し破壊するものであると同時に「腐っていく日常」そのものでもあるので、そこは空や海や地下深くから襲ってくる天災の象徴たる怪獣だとか通り魔的な怪人とは全然モンスターとしての意味合いが違う。
で、ケイオスドラゴンで「ゾンビだけど知り合いだから殺せない」「ゾンビだから生贄に使っても構わない」といった、ゾンビを人間扱いするのかバケモノ扱いするのかが結局は向かい合った人間の心次第って話が出てくるのも面白い。ケイオスドラゴン自体は色々と問題のある展開ではあるんだけど、BS11で連続で見ているぶんには色々と汲み取れる。
って、あれ今日のBS11のアニメ11時からだった!? 深夜休止日か!!
て、適当に終わり!!