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へたブロ~下手の考え休むに似たるのはてブロ~

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【日々適当】モンスター娘のいる日常がラブコメに取り戻したものの話

 

 

 ジカンガー(以下略)。

 というわけで? 今回はいつも以上に短くいきます。今期アニメで異彩を放つラブコメ作品「モンスター娘のいる日常」について。

 最大の特徴はヒロインが全員、人外のモンスターであることと、そんな異形のモンスター娘達をこれでもかとエロエロに描き切っていること。

 雨宮天や小澤亜季など今をときめく若手女性声優陣が、脱皮やら産卵やらで喘いで喘いで喘ぎまくる音声だけでもTV放送の限界を超えた背徳的魅力に溢れていますが、作画演出のトバシ具合も留まるところを知らない。元々、監督の吉原達矢は24歳でTVアニメ初監督を務めた「波打際のむろみさん」から人外ヒロインの胸を揺らしまくっていたのですが(爆乳人魚、富士さんの回は伝説級の内容)、今回その経験を更にパワーアップさせ完全にタガが外れている。

 いわゆる湯気や遮光に頼らない演出も堂々としたもので感心していたのですが、どうやらそれでも規制は受けていたらしく22日土曜のニコ生振り返り一挙放送では「18禁」の完全版が配信されることが発表されています(18禁だから普通に検索しても番組が出てこないぞ、頑張れ)。あれ以上ってどういうことなんだ……!?

 

 

 しかし、個人的にこの作品にはいくつか単なる過剰エロコメで終わらない可能性を感じている。恐らくそれは意識して盛り込まれたものではないのかも知れないのですが、ちょっと近年のラブコメ・エロコメの流れを変えるかもしれない要素なので軽く触れてみたいと思います。

 

 近年のラブコメ・エロコメには「軟弱男と暴力女」の問題がずっと横たわっていた。

 優柔不断で多数のヒロインのなかから一人を選ぶこともせず、肉体関係も避け続ける不能もしくは悟りの境地に至ってしまったような主人公と、そんな主人公を嫉妬や照れ隠しと称してぶん殴り続けるメインヒロイン……という、今やお約束が行き過ぎてチープと受け取られるようになってしまった定型。

 これはそもそも、「うる星やつら」の頃まで戻れば「何だかんだで要領がよく、いい女と見れば口説きまくるナンパでケーハクな主人公」と、「そんな男の身勝手なマッチョイズムを実力でねじ伏せる自立した(けど家庭的な)ヒロイン」という、近代的な恋愛観を過度に戯画化したものだったはずなんですが、それがパターン化して年月とフォロワー作品数を重ねるうちに、主人公の優柔不断とヒロインの暴力が単に「話の都合上、便利だから」使われるだけになってしまっていた。

 その辺りは具体的に作品名を上げていくと色々と細かく見えてくるものもありそうですが、長いんで省略。とりあえず赤松健が「ラブひな」でその問題点を明確にしたあと「魔法先生ネギま!」で一挙解決を試みて、結果ラブコメじゃなくなっちゃった……という流れが象徴的かと思います。

 その後は「ToLOVEる」のように優柔不断も暴力もネタとして処理してひたすら「エロゲーのご褒美CG」のようにエロシーンを繋ぎながら、エロと物語は切り離して作品を成立させていくとか、あるいはラノベ系「ハイスクールD×D」や「新妹魔王の契約者」のように主人公のヒーロー性を高めてハーレム(浮気)の必然性を増していくとか、まあ色々と試みがあるわけですが決定的に問題が解決されたことはない。

 

 それが、「モンスター娘のいる日常」ではかなり明確に理屈が通っている。

 

 主人公が優柔不断で誰も選ばないのは、そもそも種族が違うから。

 性的に興奮していてもなかなか一線を超えないのは、そもそも普通の性交渉が可能なのかどうかもよくわからないから。

 ヒロインが暴力的になってしまうのは、そもそも力の加減ができないから。

 そして、数多くのヒロイン達が一様に主人公と同居するのは、そこ以外に居場所がないから。

 

 ほぼ完璧に「軟弱男と暴力女」問題を回避している。

 その最大の原因は何かといえば、それはヒロインが人外だから。

 人外ヒロインというのは珍しくない。というか「うる星やつら」以降、ハーレム作品でメインヒロインが普通の人間であることの方が珍しい。宇宙人だったり天使だったり妖怪だったりロボだったり幽霊だったり神様だったり……とにかく「人間じゃない女の子こそ萌えの醍醐味」というのはもはや常識の範疇。

 だが、それゆえに人外ヒロインの「人外」の部分を削り続けてきたのが実はラブコメの歴史で、彼女達は物語のなかで「人間じゃないけど、それでもこの娘は普通の女の子なんだ」という「答え」と常にセットにされてきた。そうじゃないと、上記のように結ばれないし話が終わらない。

 

 そこで、「モンスター娘のいる日常」は極端に先祖返りしてみせている。

 人間じゃない女の子と恋愛をして、あまつさえ興奮するなんて頭おかしくないかという場所にまで立ち返って改めてラブコメを始めている。

 その「こんなのに興奮するなんて、頭おかしい」という主張を作画演出がはっきり行っていて(単眼娘のビジュアルに君は耐えられるか!? 声は麻倉ももだぞ!!)、それと同時に限界突破のおっぱいエロスで視聴者の理性と本能を揺さぶる。

 理性では拒みたい、けどおっぱいがエロくて本能が逃げられない!!

 そこで更に最新話では「所詮、お前は私達の『人間と同じ』ところしか見ていないんだろう?」という禁断の指摘まで入れてくる。

 主人公はそこで「蜘蛛の脚はなまめかしい」という常人には理解不能な、しかし一部の人にはわかってしまうのかも知れない答えを出して蜘蛛娘をハーレム落ちさせるのだが、ここで描かれる葛藤の切実さは作品の見た目の印象とはまるで異なる。

 自分達とは異なるモノの、何を見て、どこを好きになるのか、というテーマはラブコメの域を超えた深みを持っているが、本来「ラブコメ」はそれくらい深いものなのだとも言えるのではないか。「ToLOVEる」だって現在放送中の「ダークネス」になってからは裏でそういうテーマは常に動いているし、今期は他にも「実は私は」が同じように人外ヒロインとの関係性を軸にラブコメを行っていて、そこに踏み込んでいくのは現在ラブコメをやるなら避けて通れないという意識が進んでいるようにも感じる。

 「モンスター娘のいる日常」は、ラブコメ・エロコメというジャンルが日常化させてしまった本来のモンスター的な要素を呼び覚ましているんじゃないかなーと、そんなこんなでいい加減なまとめ方ですが。

 

 適当に終わり。