【日々適当】今日の話題って冲方丁のことしかないんだけど……。
冲方丁が妻へのDVを理由に逮捕されたとのニュース。
まず、こういう場合には事実関係がはっきり出揃うまでは迂闊なことは言えない。
自分はこの手のニュースを聞くと真っ先に哀しげな表情をしたウルトラマンコスモスさんが「ムサシが急に番組に出られなくなった……」と語り出した例の事件を思い出すので、冤罪や誤報の可能性は常にあることを念頭には置く。最近もガンダム00副監督の遠隔操作ウイルス冤罪なんてのもありましたし。
報道された内容だけ聞くと誤解の余地はあまりなさそうに感じてしまうのも確かですが、まずは被害者の怪我の回復と正確な捜査結果が出るのを待ちたい。
で、今回の事件は一旦置いといて以下は一般論として。
自分はわりと作品を見て語る際に作者や監督・スタッフの過去作やインタビュー内容を引き合いに出して「この人は今までこういう流れで作品作りをしてきているのだから――」と、作品単体での評価や印象よりも前後の文脈のなかでのその作品の立ち位置みたいなものを定義したがる癖がある。(90年代的な発想だと思う。2000年代以降は良くも悪くも即物的・反射的な評価が重視されていたはずだがまだ90年代引き摺り勢が幅を利かせていたのであまり表立ってこなかった。今はまた2010年代半ばも過ぎて受容も変わりつつある、と思う)
なので、何か作者が事件を起こした時に「いや、作者と作品は別人格で別物なんで」という通常あるべき切り分けを安易に言えない。それを言ってしまうと作者の個人的な歴史に沿った作品解釈は一切放棄してテキスト絶対主義にならざるを得ない。こういう問題はきちんとした批評界隈ではごく普通に意識されて「それはそれ、これはこれ」と分離して対処するテクニックがあるはずなのだが、自分はただの無学な感想書きであるし「感想」と「批評」というのは例えば同じ人体に触れるにしても、オイルマッサージと死体解剖くらい違う。要するに倫理的に正しいとか理屈として筋が通っているとかはどうでもよくて、自分のなかでこう納得のバランスが取れればいいというか、そこはもうダブルスタンダードで乗り切ろうというか、かなり駄目な形で帳尻を合わせるしかない。
ええと、何が言いたいのかわからなくなってきたし全然まとまらないので単純化すると、「作家も作品も面白ければ何をしたって許されるが、ガチ犯罪は『自分が』引くのでアウト」とさせてもらいますという、ただそれだけの話。
個人的には冲方丁ほどの才能があればいくらでも再起できるし現在決まっている仕事にも致命的な影響は出ないんじゃないかと思っていますが、直近の「蒼穹のファフナーEXODUS」第二期についてはクレジットを消すなどの必要は出てくるかも知れない。すでに宣伝ポスターなど準備している場合はかなり大変そう……。
ただ冲方丁は最近あまりにその名前をあちこちの宣伝にバラ撒き過ぎていた感じはあるので、これを機会にまた改めて仕事を絞り込んでもいいんじゃないかなぁ。
自分のなかでは未だにSF作家でも歴史作家でもアニメ関係者でもなく、ザ・スニーカーで「赤衣の使者」を読んだ時の衝撃の天才のイメージが抜けない。
適当に終わり。