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時をかける少女

時をかける少女 限定版 [DVD]時をかける少女 通常版 [DVD]時をかける少女 絵コンテ 細田守
フリースタイル VOL.7 特集 細田守──『時をかける少女』を作った男
原作:筒井康隆、過去幾度となく映像化された作品を俊才、
細田守がアニメ映画化。制作はマッドハウス
キャラデザは貞本義行美術監督山本二三
・・・というような説明はもはや不要なほどに
昨年ムーブメントを巻き起こした傑作の呼び声高い作品。
原作からはタイムリープ、未来人との恋といった
基本要素だけを拝借してキャラやストーリーはオリジナルに。
最大の変更点は主人公が現代的で猪突猛進な女の子になったことで、
とにかくこの真琴という主人公を描いて見せることに
全てを集約した作りになっている。
なので、非常にわかりやすい。
意外と、背景設定や人間関係などは複雑なのだが、
真琴だけ見ていれば良いのでそういう部分で引っ掛かることがない。
当たり前のようで難しい、観客の視点・感情誘導が
とにかく巧みで懇切丁寧。職人芸的な上手さを感じる。
一方で、特に前半のコメディ中心の流れのなかでは
意欲的なカットが多くて、同時に演出の若々しさも見えるのが面白い。
画面外から飛んでくるボール、固定画面で引いて戻ってくる
土手からのタイムリープシーン、カラオケでの繰り返し、
そして真琴の魅力的なちょっとした挙動や仕草の数々などなど、
細部へのアイディアが豊富でワンカットごとに熱意が凝縮されている。
これは、日本でも有数の演出力を持ちながら
それを思う存分披露する機会に恵まれてこなかった
細田守という監督の不遇な境遇が生んだ一種の奇蹟だなー。
この上手さとこの勢いが同時成立するのは、
恐らく生涯においてこのタイミングしかなかったはずだ・・・。
また、その演出を支える素晴らしくハイレベルな作画・美術、
そしてナチュラルな現代性を与える声優陣の演技といった
スタッフワークの良さも見事。貞本キャラデザにしろ、
影なし作画にしろ、夏のイメージを伝える背景美術にしろ、
一つ一つはそれだけだと結構浮く要素だと思うのだが、
総体として物凄くバランスがとれている。
声優なんか、もう少し上手いとオタク寄りになり過ぎるし、
もう少しヘタだと萎えて台無しというギリギリ突いてるもんなぁ。
あのラストのハァハァはあの演技じゃないと
いかがわしくなるかわざとらしくなるかどっちかしかない・・・。
ともかく、技術的な面においてはほぼ文句の付けどころがない。
そして、ストーリーにおいても、タイムリープの現代的再解釈、
ノスタルジックで切ない恋心といったテーマの扱いは
ハズしたところがなく、一般受けもするし深い考察も受け入れる
実に間口の広い内容になっている。単純に感動的でもある。
ただ・・・個人的には何というか、どうにもモヤモヤした感情が残り
素直に絶賛して終わるような心境になれなかった。
それが何故なのか自分でも良くわからないのだが、
何かこう、最後の最後で納得いかないんだよなぁ・・・。
未来に一体何があったんだとか、あの絵は何なんだとか、
未来に帰ったならチャージして戻ってこれるんじゃないかとか、
そういう設定上の突っ込みどころが気になっている点もあるのだが、
そこは意図して完成度の為に切り捨てている部分だろうから
突っ込んじゃいけないというのはわかるので、
それだけですっきりしないわけじゃない。
たぶん、二人乗り自転車が過ぎ去るように、あの告白された時間は
もう二度とは戻らないという認識を真琴が持ってから、
それを呑み込んだうえでなお「走っていく」というまでが
早過ぎるというかあまりにも唐突で、話を締める為に
言わせただけといった風に聞こえてしまったというのがあるのかも。
それまで絶妙にシンクロしていた真琴の感情と作品のテーマが、
一番重要なタイミングでズレたような違和感があったというか。
現代的で現実主義な少女として描かれていた真琴が、
そこだけメルヘンチックなんだよなぁ。
未来で待ってると言われても、具体的にどうするんだ?
それは待ってるだけのおばさんと何がどう違うのか?
その違いをラストシーンで明確に出して欲しかったのかも知れない。
ただ、やはりそういう無理を控えたからこその完成度なのだろうし、
それでこの作品が傑作であることが変わるわけではない。
細田守にはこれからも一般性を持ったアニメ作家として
打倒ジブリの道を邁進していってもらいたい。


7/23追記。
何か中途半端な文章になっているのであとで掲示板に書いたものを転載。
・(走っていく、が未来に絵を届けることだとして)
つまり、「あの絵を未来に届ける」ということは恐らく
戦争か飢饉か文明断絶か、ともかく酷い状況に
陥っている千秋の未来を変えていくという意味なわけで
(まさかおばさんの後継いで修復師になるって意味じゃないだろうし)、
そんな雲を掴むようなことをあの瞬間に真琴が
決意出来るとは筆者には思えない。
なので、たぶん真琴はそこまで深いこと考えずにより良い未来に向かって
頑張っていくという程度の意味で言っていて、ラストの入道雲はそういう
「ムクムクと湧きあがっているが実体のない想い」の象徴なのかなー、
というところまでは考察したのだが、
それで終わっちゃうのはどうなんだというまた別の問題が出てきて、
まあ色々と混乱したわけです。
観終わってから一日中、ず〜っと頭の霧が晴れずにネット上の批評など
いくつか見たのだが、あのラストのセリフについては結構人によって
解釈が違うみたいで、読んでたら余計に混乱が広がってしまった……。
再会の約束と取るか決別の言葉と取るかで全然違うんだよなぁ。
・EDがカットされてたのは大きいかも。
色々考えたんだけど、あの作品が「わかりやすい」というのは間違いで、
実はあの最後の選択までを一本道に作り込みながら
そこで観客の判断によって無数にラストの解釈が分岐するような作りに
元々なっているんじゃないかとも思った。
EDを観ながら思い出のなかで完結するように
そもそも設計されている、と。


ちなみに上記の考えもやっぱり納得しきれない・・・。
絵コンテ集とか読んだ方がいいのだろうか。