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【日々適当】TV放送されたSTAND BY MEドラえもんがドラえもんだった話

 

 

 ああ、ドラえもんだなぁ。

 ぶっちゃけ、見ている間それ以外に何があるのだろうかと不思議な感覚にずっと付きまとわれていた。

 いつものドラえもんだよなぁ、これ……としか感想が湧いてこない。

 しかし、いつものドラえもんであるはずがない。初のフルCG映画なんだから。

 「フルCGなのにまるでアニメのドラえもんと同じ感覚!!」というのならわかる。けどそうじゃない。「フルCGなのに」であるとか、「まるでCGであることを感じさせない」ではなく、普通に「CGの、いつものドラえもん」としか思えない。

 

 これに関しては一つタイムラグの問題があって、本編自体は初見とはいえ公開された2014年から現在に至るまで、この「STAND BY ME ドラえもん」の映像は散々CMや特集などで流されていた。だからもはやCGの新規性、キャラデザや世界観への違和感はすでに無意識化で克服されてしまっていて、他の「脳内ドラえもん思い出アーカイブ」に一緒くたにまとめられていた可能性がある。

 だから見ていて、「原作ドラ→日テレドラ→のぶ代ドラ前期→のぶ代ドラ後期→わさびドラ初期→わさびドラ劇場版→わさびドラ現在→CGドラ」という流れがごく自然に整理されて、「ああ、いつものドラの最新版はこうなるよね」という納得が生まれていたのではないか?

 

 ただ、そうはいってもこれが自分だけの特殊な感覚でないことは記録的な興行収入、更には中国をはじめとする海外での好意的な受け止め方からしても明らか。

 恐らく観客の大部分、これを「まったく新しいドラえもん」とは思わなかったはずで、そう思わせなかったことにこそこの作品の凄味があるのだろう。

 原作の感動「ドラ泣き」エピソードを切り貼りしただけに見えて実は「ジュブナイル」や「三丁目の夕日」でもやっていたノスタルジー喚起のテクニックを巧みに織り交ぜている脚本であるとか、クレイアニメ風のキャラとミニチュア使用の背景でCGの無機質さを徹底排除した映像であるとか、あるいはTVアニメそのままの声優陣のいい意味での場慣れ感であるとか、何で「新しく見えないのか」には様々な仕掛けの効果があるのだと思うけど、究極的にはやはり山崎貴監督は「観客自身の思い出ボム」に火をつけコントロールする能力が異常に高いんだろうな、と。

 

 「ああこれ知ってる」と思わせる能力。

 

 通常それはパクリやマンネリといった批難を呼び込むだけのはずなのだが、それを最大限に使いこなすと観客の共感と感動を的確にコントロールできるようになる。結局、感動とは自分自身の心の情動なので、「ああこれ知ってる、この感情もこの景色も思い出の中にある」と感じさせることがまず何より大事で、山崎貴という監督は現在それが日本一上手い。

 で、それは「感動させる映画を作っている」とは少しニュアンスが違うはずなんだよね。あくまで「ああこれ知ってる、他人事ではない」と思わせる(錯覚させる)映画を作っているのであって、最初から押し付けがましく泣かせにかかっているわけではない。

 そこが巷に「感動映画」が溢れながら、山崎貴だけが圧倒的な結果を出せている秘訣なのだろうかなぁ……と、まあ適当なことを考えていた。

 とりあえずテレ朝はしずかちゃんのパンチラをカットしなかったのが偉い。

 

 適当に終わり。