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【デレマス2nd感想放棄】アイドルマスターシンデレラガールズに最終回なんてあるわけない。

 

 

 厳正なる抽選の結果、残念ながらチケットをご用意することができませんでした!!(一ヶ月ぶり二度目)

 

 というわけで、最終回が無事(?)放送されすでに一週間近くが経ちました。

 最終回後、ブログ感想記事をちびちび進めてはいたんですが、どうもスイッチが入らないというか、スイッチなんか入れたくないというか、ブログなんて書き上げたくない、自分はブログ書く為にこのアニメ見てたわけじゃないんだ……そういうことじゃないんだ……そういうことじゃないんだよ……!! とか何とか呟きつつ死んだ魚の眼でひたすらデレステをシャンシャンして蘭子一枚目まで到達。ハロウィン公演とバハムートコラボも進めなければいけないし、いつまでもアニメ最終回を引き摺っていてはいけないのですが、どうにもこう……終わった気がしない。終わったはずがない。

 最終回の内容自体は、これまでの出来事を丁寧に反復・復習しながら1話へと循環し、新たな可能性(ヒカリ)にバトンを渡して幕引きと幕開けを同時に行う、極めて巧緻なものだったと思います。ドラマ的な最高潮はやはり24話の「S(mile)ING!」だったので、基本的にはあくまで各アイドル達とプロデューサーの成長を確認しながら、テーマと作品構造の総括を行うのが主だった内容だったかなと。

 で、その「テーマと作品構造の総括」に関して、細かく検証したり解説したりするべきなのかどうなのか……とずっと悩んでたんですが、結論としてはやはり「書きたくない」。

 野暮である。

 作品の途中の段階、全体像が見えていない段階で「ああでもないこうでもない」と妄想するのは作品の楽しみ方の一環であるし、様々な視点を提供することにも意味がある。

 だが、完結・完成した作品に対して今更そんなこと言っても仕方ない。

 見りゃわかるだろ!! 全部通して見て自分で判断しろ!!

 ……としか言いようがないのであり、そしてこのアニメ「シンデレラガールズ」は異様に情報量は多いが解釈自体はむしろわかりやすい部類の作品だと自分は思っている。特に最終回まで見たうえで伏線や反復される要素を拾いながら二周目の視聴に臨めば、普通の人なら脚本演出の意図を理解するのに難はないだろう。

 なので、解説とか考察はもういい。見ろ、考えろ、感じろ!!

 そうなると、あとブログに書くことなんて「自分にとってこの作品は何だったのか」の自分語りを始めるか、純粋に各スタッフ&キャストのこの仕事がよかったとかそういう感謝の手紙じみたものを書き綴るしかないが、それは他にいくらでもやってる人がいるだろう。

 何より、自分はまだまったく総論めいたものを書ける精神状態になってない……最終回なんて言ってもTV放送が一時休止しただけじゃないですかぁぁ……1stのあとも三ヶ月後に再開したわけですし、今回もそんな感じで数カ月後には再開してるんですよきっと……実際BD収録の26話もあるので全然終わってないのは事実。真理。確定的に明らか。

 ええと要するに、繰り返しますが感想なんて書きたくないし、書くこともないのです。

 ではみなさん、ごきげんよう。幕張行ける人は頑張ってUOナウシカエンド再現してね!!

 

 ――で、済ませてしまえばいいものを、最後にちょっとだけ余計な話。

 

 

 

本当に恐ろしかったシンデレラガールズ考

 

・「究極のディテールアニメ」という方向性について

 

 「4秒のカットに一週間かかった」のスタッフツイートがあったりしましたが、最終回において本作の作画演出のスタンスは最大の狂気に達していた。

 そもそも何でデレステ衣装でダンスをさせる必要があったのか? それは本作が強固な「ディテール主義」だからです。原作衣装のディテールを再現することが、作画コストや動かしやすさよりも遥かに優先される。

 個人的には1stシーズン3話の段階で「あ、このアニメ狂ってる。こんなの続けたら明らかにヤバい!!」と思ってはいたんですが、まさかそのまま何度転んでも血反吐にまみれても立ち上がり最後まで走り切るとは……。

 このアニメにおける「ディテール主義」の特徴を一言で言い表すと、

 

 女の子のリアリティは肉体よりも物体に宿る

 

 たとえば、リアルな女の子が毎日同じ表情・同じ体型をしているなんてことは絶対にあり得ない。つまり「女の子の作画は崩れるべきもの」と最初から織り込んでいる。

 対して、リアルな女の子が毎日同じ服を着ているなんてことも絶対にあり得ない。そしてアイドルを題材とする以上、ステージごとの衣装にこそ女の子の本質は託される。表情よりも激しいダンスよりも、シンデレラガールズの魂はその時の衣装のディテールにこそ宿っている。

 なのでそこだけは手が抜けないし、なるべく多くのアイドルを登場させるにしてもそれは衣装とセットでないといけない。ぶっちゃけ諸事情でアイドル自身の作画が不完全になってしまったとしても、衣装で判断がつけばいいのだ!!

 脚本が情報量でギチギチになってしまうなら、小物と背景で語るのだ!!

 置かれたペットボトルの位置と本数だけでシーンの意味は伝わるのだ!!

 細部に神は宿る!! ディテールこそ万能の情報伝達手段!!

 加えて、衣装のディテールが絶対だからこそ、女の子を泣かせ笑わせ、髪を乱れさせ汗にまみれさせることができる。女の子達の生々しい感情をシームレスにステージ上に連れていくことができる。これはCGモデルに切り替えてのダンスシーンが全盛になった今だからこそのアンチテーゼ的なアプローチなわけですが、アニマスからの正統進化でどこまでいけるかの無謀な挑戦でもあった。

 結果的には、空前絶後のディテールアニメとして金字塔を打ち立てた一方で、同時に「まあ、それはそれとして無理なもんは無理」という臨界点を知らしめる形にもなったので、ミリオンライブがTVアニメ化される際にはもう少し賢いやり方になると思う。

 ちなみにTVのアイドルアニメで限界に挑んだのが特殊なのであって、ディテール主義自体は別に珍しくも何ともない。ジブリや高雄監督の出身である京アニも全体にはその方向であるし、劇場用オリジナルアニメは往々にして過剰なディテールに走ることが多く(オネアミス!! スチームボーイ!!)、一時期はTVでもミリタリー系やロボットアニメで主流として猛威を振るっていた。よく「シンデレラガールズはボトムズ系」と言われるのにはそのイメージもある。キリコが頻繁に別人になることよりも、スコープドックのレンズの汚れの方が重要なのである。かな子が頻繁に太くなることよりも、差し入れのお菓子作画の方が重要なのである!!

 それにしてもディテール凝りまくったロボットをグリグリ動かせるメカアニメーターが今や数えるほどしか存在しないように、本物のアイドルアニメーターもまた今回集結したメンバー以上には存在しないのかも知れないよなぁ……。いくら予算や時間があっても人が育たなければどうにもならない。

 

・楽曲作りとライブ演出について

 

 CD収録される「S(mile)ING!-LIVE MIX-」が試聴できるようになりましたが、24話の感想で触れた「コールが入ってるのか入ってないのか問題」に答えが出た。

 「LIVE MIX」には観客のコールどころか卯月の煽りまで入っている。そして24話で放送されたものは「LIVE Version」だったので恐らく別物扱いにされている。

 大橋彩香がハンドマイクで新録した際には石原Dも高雄監督も熱心に指示出ししていたそうなので卯月の煽りも当然その時に録っているはずですが、言うまでもなく24話の卯月があの状態で観客を煽れるわけがない。つまり最初から「コールなし版」を放送で流してCDには「コール入り完全版」を入れるつもりでいた。

 アイマススタッフには「アイマス曲は観客(P)のコールが入って初めて完成形」という認識が存在するので、それがアニメ演出にも反映されている。

 最終回の「M@GIC☆」。「GOIN'!!!」がみんなで一つに合わせる意識が強かったのに対してより一人一人の個性を際立たせたダンスに変化している……といったアイドル達の成長描写はあるのですが、作画&撮影スタッフはアイドルほど急には成長しないので13話と比較してステージ上のパフォーマンスが劇的に進化しているわけではない。進化しているのは以前はCPのことをロクに知らなかった観客達で、だからこそ「GOIN'!!!」の時以上の余裕のコールもUOの大海原も意義深いものになっている。

 これはファン数を稼ぐことでプロデューサーレベルが上がっていく原作システムの再現でもあり、最初から見返さないと確かなことは言えないが「客層と反応」「コールの正確性」「サイリウムの数と揃い方」などで実は段階的にレベルアップが示されていたんだと思う。(Pや裏方スタッフ達の反応も「身近な観客」に含まれる)

 「流れ星キセキ」の時にNGsがちゃんと観客の顔を認識できているのも、デビューライブの時から何が成長したのかが端的によくわかる。

 アイドルと観客の「はじめまして」がようやく繋がったんだと。

 それはこのアニメの最大の目的でもあった。全25話のアニメを通じて、ついに今までアイドル達を知らなかった人達への紹介が終わったのだ。なので、あとは古参の担当Pがそれぞれ死ぬ気でプレゼン頑張ってくださいということですね。

 

・@と☆について

 

 「M@GIC☆」はシンデレラ初の@曲。ニコ生で石原Dは@曲は節目の大切なものなので「Star!!」の時にはまだ早いと@を付けなかったと言っていた。これも25話かけてようやくシンデレラガールズも「アイマス」になったんだという表現と取っていいと思う。前回感想でも書いた「灰かぶりが星を掴むまでの物語」がそのまま「シンデレラガールズがアイドルマスターになるまでの物語」に掛かっている。

 そしていずれはミリオンやSideMにも@曲が……あ、ミリオンはCDシリーズ名の時点で「LIVE THE@TER」だった……しかも「チョー↑元気Show☆アイドルCh@ng!」に@も☆も入ってるじゃないですかぁーっ!? っていうか観客席に絶対いるだろうと思って探しちゃったぞ亜利沙ーっ!!

 

・Pと常務のファイナルポエムバトルについて

 

 せっかくなので翻訳を試みる。心に記した自己流の熊本弁ノートによるものなので誤訳だらけになるとは思いますが大体こんな感じかなーと。

 

P 「お疲れ様です」(闇に飲まれよ!!)

常務「これほど大規模になるとはな」(まあ、予算通してあげたのは私だけどな)

P 「多くの部署と協力できましたので。常務のプロジェクトクローネとも」(これでアイドル部門は完全に掌握しました。今のあなたはさしずめ裸の女王様ですね)

常務「才能ある者は評価する、前にも言ったはずだ。だが、君の考えは気に入らない」(あ、あんたが有能なのは最初からわかってたもん!! けどいい気になるなよバーカバーカ!!)

P 「――ッ!?」(あ、地雷踏んだ?)

常務「私は以前、君のパワーオブスマイルを御伽話と言ったな。だが撤回しよう、御伽話にすらなっていない」(あんたのやり方なんて絶対に認めないんだからねっ!!)

P 「それは――」(ちょ、無茶苦茶忙しいのに今から説教タイムですか!?)

常務「あるところに一人の少女がいたとしよう。何の取り柄も持たない不遇の灰かぶり。少女は憧れる、きれいなドレス、きらびやかな舞踏会、優しい王子に手を引かれ共に美しい城の階段を登ることを……」(キレッキレだわ、私……)

P 「……」(キレッキレだわ、この人……)

常務「物語には目指すべき目標が必要だ。皆が憧れる光り輝く目標が」(メタ論で言えば、ゲームやアニメの公式ストーリーには目標設定がないとユーザーは付いてこない。ユーザーは美しいエンディングを信じるからこそストーリーを追いかけお金を払ってくれるのだ)

常務「だからこそ城は気高く、美しく、そこに立つ者はそれに相応しい輝きを持つ者でなくてはならない」(だから公式には常に最高のストーリーとキャラクターを用意する義務がある。それが優良コンテンツを管理し発展させるということ)

常務「君のような輝きを失った者まで守ろうとするやり方では、やがて城の威厳は失墜し廃れていくだろう」(不人気キャラや二次創作で散々オモチャにされたキャラにいつまでも固執していては、コンテンツ自体の衰退を招くのは明白!! 実際モバマス時代に不遇だった島村卯月や本田未央のプッシュなんてするからアニメの後半は無駄に大変なことになったのだ!! 私のクローネのように人気キャラを追加でメインに格上げして、素直にトライアドがイチャイチャする話でもやっていればよかったのだ!!)

P 「……城を目指す少女は何かを願うものです。想いの形はそれぞれに違う。その全てが、星のように大切な輝きだと私は思います」(各キャラが誕生したことにはそれぞれ意味があり別個の目的があります。一時の都合に合わせるのではなく、各キャラが持っている本来の魅力を忍耐強く引き出すことこそコンテンツの強化に繋がるのでは?)

常務「星? 君はその星全てを見い出せるというのか?」(そうやって増やし過ぎたキャラを切り捨てられなかったせいで今まさに収拾がつかなくなっている!! 脚本も作画も死ぬ気で頑張ってようやく全アイドルの半分を出せただけでアニメは終わる!! 全てのキャラに平等にストーリーを与えることなどできるものか!!)

P 「いいえ。私に見えて常務に見えないこともあれば、その逆もあります。渋谷さんとアナスタシアさんの別の可能性を常務が示されたように。部署という枠に囚われていた私には思いもよらなかった可能性です」(全てのキャラの個性を一つの視点、一つのコンテンツで測る必要はないんですよ。ゲームもあればアニメもある、マンガもCDドラマもある。ゲームだけの発想ではラブライカもアスタリスクも生まれなかった。モバマスには思いもよらなかった可能性をアニメが示したように――)

P 「触発された他のメンバー達もそれぞれの可能性を広げ輝きを増しています。そして、それも無限にある彼女達の可能性の一つに過ぎないのではないかと」(デレステや各種コラボ、そして新たに広がっていく二次創作の輪からもアイドル達の新たな個性、新たなストーリーは無限に生成されていくはずです。そう、今見えているのは大宇宙の小さな星の一つに過ぎないのです!!)

常務「私の理想も、その可能性の一つに過ぎないというのか?」(……「公式」ですら可能性の一つ、どこぞの素人が描く二次創作と同等のものでしかないと言うつもりか?)

P 「一番大切なのは、彼女達が笑顔であるかどうか。それが、私のプロデュースです」(一番大切なのは、キャラが生きて魅力的であるかどうか。それさえあれば全ては「アイマス」を盛り上げる為のプロデュース活動であると私は信じています)

常務「ふん……君とは噛み合わないな、私は城を、君は灰かぶりの夢を第一と考えている。我々は平行線のままだ」(つまり私はコンテンツホルダー側のP代表、君は凡百のキャラ萌えP代表に堕したというわけだ。ならば我々は交わることはない。作者と読者、制作者と消費者の間には明確な線引きが存在する。慣れ合いは許されない。我々は永遠に平行線でいる「しか」ない)

 

ちひろ「プロデューサーさん、そろそろシンデレラプロジェクトのステージです」(あんたら、ただでさえ尺のない最終回にいつまで長々とポエムバトルしてるんですか……!! いい加減にしないと本気で)

 

P 「失礼します」(あ、すいませんもう終わるんで)

常務「彼女達は、我々の平行線すらも超えていくのか?」(それでも君は……どれほどP達の都合によるパラレル設定に分断されたとしても、アイドルはその個性と魅力によって「同一性」を保ち続けることができるというのか?)

P 「はい」(Pはみんなチョロいから大丈夫だよー)

 

部長「ここで見ていたんだね」(戦利品はどうだったかね)

常務「――たまには城を出て、星を見上げるのも悪くないと思ったものですから」(このトライアドの薄い本、尊い……最高かよ……!!)

 

 無論、ここで挙げた翻訳はあくまで一例であり、ポエムもまた各々が書き記してきた熊本弁ノートの内容によって無限に解釈を変えていくのです。自分はPと常務をアイマスPの光と影、鏡合わせにされた一対のメタ存在として捉えていたからこういう解釈になっているのであって、たとえばもっと素直に二人のアイドル観の激突と捉えればそういう翻訳を付けることも可能ですし、普遍的な社内政治の話にも繋げられる。あるいは……24話のPと卯月の舞台裏での会話が一種の「濡れ場」の隠喩、Pとアイドルが一線を超えかけたことの表現だったと読めるのに対応すると、最終回で「トライアングラー」に決着をつけていたとも取れる。

 実はず~っと、Pと常務のポエムバトルがいわゆるピロートークっぽいというニュアンスは与えられていて、Pとアイドル(卯月)と常務を三角関係の構図に置き換えて読むのはむしろ自然なんじゃないか……ネット上だと観測するのが非常に困難な解釈なのだが、たぶん仕事終わりにダラっと見てたOLさんなんかは普通にそう見ていたりするんじゃないか……。というわけでポエムはかくも奥が深い。

 

・アイドルの卒業と継承について

 

 CPメンバーのプロジェクト卒業と二期生へのバトンタッチ。卒業自体は多く予想されていたラストだったと思いますが、メンバーが卒業を最初から意識していたのか? 自分達が巣立っていくことを知っていながらCPを守ろうとしていたのか?……その辺りに関しては明確には語られない。というのも2ndの全てが「卒業」を受け入れ羽ばたく為に用意されていた時間(つぼみ、曇り空の時間)だったので、それを超えた先の感情をわざわざ語る必要がない。それこそ、見て感じろ!!

 ただ、自分はCP卒業をラストに持ってきた場合、どうしても湿っぽくなるのは避けられないと思っていた。特にPにとっては痛みを伴うものになるだろうと覚悟していた。

 しかし、みんな物凄く前向きだった。Pも自分が作り上げたCPという枠組みに囚われることはもはや微塵もなくなっていた。何でかと言うと、あの14人が美しく卒業していくことによって、初めてCPは完成したからなんだろうなと。

 よく考えてみるとアイドルの「卒業」には二種類ある。完全に引退して伝説あるいは幻となって消えていくパターンと、あくまでグループを卒業してアイドルとしては残るパターン。

 アイマスは元々765がモー娘。を意識していて、シンデレラはAKBブームの影響を受けているので「卒業」も別にアイドル辞める前提にはならない。あくまでグループを卒業して個人個人で新たなアイ活にチャレンジしていきます、という話になる。エピローグで描かれたのはまさにそれだった。

 元々CPは複数ある部署の一つで、これはおニャン子や初期モー娘。に近い単発グループでしかなかった(グループ内でユニット作る発想もそう)。それが2ndの物語を通じて結果的に、「卒業」と「継承」を組み込んだ一個の大きなシステムに再編された。

 その名も、「シンデレラガールズ」!!

 ラストでプロジェクト卒業生の14人がそう名乗ったことについては様々な解釈の余地がありますが、自分としては346プロアイドル部門は新専務の指揮の元やはり再編はされて、所属アイドル全てをひっくるめた「346プロシンデレラガールズ」という形態に生まれ変わったんじゃないかと一応推測する。

 このアニメは「エピソード0」でありいずれモバマス時空の関係性に追いついて終わる……とは、最初から示されていた方向性だったわけで、その「追いついた」の形が今まで単なるタイトル名だった「シンデレラガールズ」が具体的な集団として誕生する瞬間を描くことだったのではないか?

 そして「シンデレラガールズ」とは何かと言えば、どんな突飛な個性を持ったどんな女の子であっても必ずアイドルにしてみせる、闇鍋としての強固さであり、それを示すのが舞踏会の目的だった。アニメ化そのものが「シンデレラの舞踏会」だったと言い替えてもいい。

 ここにくれば誰でも魔法をかけられて、灰かぶりはお姫様になれる。ピノキオは人間になる。美女は野獣と出逢って本当の幸せを知る。ワガママだったお嬢様は秘密の花園で大人に成長する。そしてその舞踏会へのチケットは誰にだって届くんですよ……ということで卒業と継承があると。

 まあ、灰かぶり以外にはチケットはご用意されないんですけどね……。

 

・シンデレラガールズ最終問題「千川ちひろとは何者だったのか?」

 

 最終回で自分が一番驚いたのは、エピローグで後ろドタマからちひろさんが登場したシーン。

 あれは一応、カットの繋ぎとして前川みくがカメラに突っ込んできているのを受けているからそうなっただけだとは思うのですが、最後の最後にしてかなり異様な描写ではあった。そして、少し引っかかったのがその後の「専務」との会話。

 どうやらちひろさんは春フェスの資料を専務の命令でPに届けていたっぽいんですよね。シンデレラプロジェクトのアシスタントとして資料を受け取ったのではなく、専務の直属であるように見える。

 思い返せば秋フェスの際も常務と直通で電話していたのはちひろさんだった。さすがにPクラスとそのアシスタントには番号が知られていたのだろうと普通に納得はするのだが……なーんか、アニメにおける千川ちひろの描写には含みを感じる点が多い。

 何度も言うようにこのアニメ化の大目的は「シンデレラガールズに具体性を与える」ことだった。だからアイドル達には生々しい試練が与えられ、346プロやライブ会場といった舞台のディテールは極限まで細かく描写され、Pと常務はリアルなアイマス問題を包括したポエム議論を延々と繰り返した。全てはリアルを獲得する為に。

 だが、その方針から明確にはみ出した存在がある。

 千川ちひろ。結局、最終回まで彼女が何者であるのか掘り下げられなかった。

 Pや常務、あるいは部長に関しては具体的な過去がなくともいくらでも想像する余地が与えられている。千川ちひろにはそれすらない。ひたすら謎の有能アシスタント。

 これは765プロの音無小鳥がアニメにおいて裏ヒロイン……どころか一番本妻に近いんじゃないかというレベルで掘り下げられたのとは真逆の扱い。小鳥さん、生活感ではアイマス界ナンバー1だしな。

 大体、あんな派手なグリーン色した事務服着てる人、ちひろさん以外に346プロに存在しないんだよね……どう見ても346の伝統に反している……Pのネクタイを直さずにはいられない常務が何故ちひろさんの服には何も言わないのか!?

 そして1stからずっと、Pに苦難が振りかかるたびにそれを先読みしたかのごときタイミングでスタドリを差し入れてくるのは何故なのか!? しかも大概イベントで走る為のスタドリ・ハーフなのは何故なのか!? 2話でアイドルに生エナドリくれたのは初ログインボーナスだったのか!?

 最終回において「平行線」と言い切ったPと常務を繋いでいるのが常に千川ちひろであるのは、もはやたった一つの答えを示していると考えるしかないのではないか?

 

 奴こそが、平行線を超える真の支配者なのだと……!!

 

 わりとあり得る話として、CP以外の部署にも千川ちひろはアシスタントとして存在していたのではないか? まゆPも他のP達も千川ちひろは自分のアシスタントだと思い込んでいたが、実際は千川ちひろは全ての部署、全てのPの前に偏在していたのではないか? だからこそ各部署を横断する舞踏会の計画があんなにも順調に進んだのではないのか? そうでも考えないと、明らかに連携が取れ過ぎている。武内Pの普段の仕事量と外回りの多さからして社内の連絡事項はちひろさん任せだった可能性が高く、舞踏会を取り仕切っていたのが実質的には千川ちひろであったとしても無理はない。

 そして最後のあの会話……常務ですら、千川ちひろは「私の」アシスタントだと思い込んでいたのではないのか?

 全てのPの前に千川ちひろは立っている。我々の前に毎日現れる「あの」ちひろも、当然ながら同一個体である。デレステで他のPのルームを覗くと、家具やアイドルはそのまま配置されているのにちひろだけ消えているのが意味深だとよく言われていたが、まったくそのままの意味だったのだ。ちなみに今日、不具合報告で「他のPのルームにちひろがいるのはバグ」と明言されていた。ちひろが複数存在することは絶対に許されないのだ……!!

 

 プロデュースの平行線?

 ゲームとアニメで設定が違う?

 何をバカなことを言っているのか。

 

シンデレラガールズの全ては、ちひろの前に皆平等である。

 

 争うな人の子、迷えしPよ。宗派を超え、教義を捨て、祭壇を立て神を蒸すのだ。祈り財貨を捧げ清廉を示せ。さすれば救いとともにSSRが舞い降りるであろう……!!

 

 というわけで、アイマスは宗教。

 

・あと、今西部長とは何者だったのか?

 

 ポルナレフだよ。

 

・で、この記事いつ終わるの?

 

 こっちが聞きたいよ!! このうえ最終回に登場したアイドル達の選抜理由とか企画の元ネタとか言い出したら本当に終わらないよ!! 何でブルーツリーさんなんだよ!! 五十嵐響子ちゃんを滑り込ませたのは予定通りなのか特別編成の間にぶっ込んだのかどっちなんだよ!? 訳わかんないよ!!

 あの、最初にこのアニメは実は丁寧に伏線を拾っていけばストーリー自体はわかりやすいと言いましたが、それはそれとして裏側を考え出すと本当に闇しかない。これほど光と闇のコントラストが激しく美しく煌々と弾けている作品を自分は他に知らない。

 良いとか悪いとか、面白いとかつまらないとかじゃないんだよ!!

 おかしいんだよ!! このアニメは狂っている!!

 だが、本来それが「アニメ」なのだ。「シンデレラ」なのだ。「メルヘン」なのだ。

 そしてそれが、「アイドル」で「アイドルマスター」なのだ。

 アニメなんて、正気のまま作っちゃいけないよ。

 

 ともかく、自分としてはやっぱり終わった気がまったくしないのでミリオンやSideMやって、また狂う準備ができたら存分に狂ってもらいたいですね。

 

 ……果たして本当に狂っているのが「鏡」の向こうなのか、こっちなのか、それは今は考えたくない。