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【デレマス2nd速報感想】アイドルマスターシンデレラガールズ第22話、空高く輝く星は地上の花を見失う

 

 

 魔法が解けた。

 島村卯月の魔法が。

 だが、それはいい。想定内だから。当然そうなる流れであったし、秋フェスを圧縮して進行させ、それ自体はハッピーに成功させて終わりながらCパートで落とす!!……という構成には戦慄したものの、秋フェスと卯月爆弾が切り離されたのはよかった。

 自分は「魔法が解ける」その瞬間に起こるのは、トライアドのライブに卯月がただのファンとして感動してしまい凛と並び立つ必然性を失ってしまうとか、そういった秋フェスやトライアドの成功そのものが卯月を撃ち貫いてしまう展開なんじゃないかと心配していたので、そうでなかったのはむしろ安心した。

 島村卯月が心折れたのは「Pが自分の為に頭を下げている」瞬間だった。

 とても島村卯月らしいと思う。

 

 今まで自分自身のことでは絶対に折れなかった。秋フェス中も危ういシーンが何度も何度も訪れるのに卯月は凛を励まし支えになる役割を最後まで放棄しなかった。

 それが、自分のせいでPに迷惑をかけてしまったことで折れる。「挽回しましょう」の言葉でその事実を肯定されてしまったことで潰れる。島村卯月の魔法を解いてしまったのは嫉妬でも焦りでもなく、自分自身の優しさだった。

 このシーン、6話の「未央が友達の応援を見た瞬間にこそ折れる」こととの対比・反復ではあるのですが(演出が6話と同じ長町英樹なので「視界が揺れる」)、当時の未央と現在の卯月では意味合いが違う。というか、6話の時点で非常に子どもっぽく未央が折れてしまったことが余計に22話の卯月の強さや優しさ、あの時とは次元の違う問題の深刻さを突きつけてくる。あの6話ですら牽制のジャブに過ぎなかったのだ……!!

 しかし、それでもなお。

 島村卯月の「魔法が解けた」ことは想定内。最初からそういう話であることはわかりきっていた。シンデレラの魔法が解けるのは当たり前。胃に悪い話ではあっても覚悟はしていた。

 今回……自分が呆然となったのは、そこじゃないのです。

 そこじゃない。そうじゃない。ずっと何か引っかかってはいたし、そこに繋がる考察の類を自分で何度も書いてもいたのですが、上手く整理ができてなかった。

 それがようやく今回、はっきりした気がする。もちろんまだ勘違いである可能性は高く、いつものように思い付いたことを吐き出しているだけの考察にもなっていない感想にしか過ぎないのですが、一応書いておかないと落ち着かないので書くだけ書く。

 

この物語は島村卯月の「魔法が解ける」までを描いていたのでは、ない。

 

 この物語は島村卯月の「魔法が解ける」まで、

 

その事実に「誰も気付かない状況そのもの」を描いている。

 

 主体は卯月なんだけど、主題は違う。

 カメラは卯月を追っていてその問題を映し出しているのだけれど、伝えたいことはそこじゃない。一人の少女が苦しむ姿をただ露悪的に描き出したいわけじゃない。

 

 これは、この可哀想な少女に、何で誰も気付いてあげないんだと糾弾する話なんだよ!!

 

 シンデレラに限らず、マッチ売りの少女であるとか、赤ずきんだとか、ありとあらゆる「少女が過酷な運命に見舞われる童話」は全て、本質的にはそういう話のはず。少女が不幸になる姿を描きたいのではなく、少女を不幸に追いやる状況や、家庭や社会の環境とその意味を伝えることにこそ本題があるはず。

 アニメ「シンデレラガールズ」もそういう話であったはず。最初からずっと。

 考えてみれば当たり前過ぎて、何故かポロッと頭からそれが抜け落ちていた。

 だから22話までかけて描いてきた物語も、特に卯月が明確に曇り出してから執拗なまでに「卯月が壊れそうで壊れない」描写を続けてきたのも、卯月の為というよりはそんな卯月に気付かない周りを描く為にこそあったのだと考えた方が筋が通っている。

 そして、そうなると卯月の問題が実は「何に対して」の糾弾であるのかも見えてくる。果たして誰が悪いのか?

 Pが悪い? 常務が悪い?

 確かに両者にも責任はあるのだが、一番悪いのははっきりしている。

 

「シンデレラプロジェクト」の残り13人が悪い!!

 

 凛も悪いし未央も悪いが、どちらかというと他の11人の責任の方が重い。NGsはNGs固有の問題自体はちゃんとクリアしているわけだから。卯月の問題はNGsだけの話ではなくCP全体の根幹に関わるので、そこを見逃したなら全員が悪い。

 そして、この22話の構成、描かれている内容はまさしくCPの光と闇を端的に見せる形になっている。これまでだと、話数を跨いで「前回では光だったことが次回では闇になる」ブーメラン形式だったのが、22話は本編とCパートですぐさまその反転を行っている。

 部長のポエムが美しくライブを締め括ったかに見せて、そこで語られた「夢を追う女の子達の絆」こそが、そこから零れ落ちていく島村卯月を襲う。

 22話でもっとも周到なのが実は冒頭のアナスタシアの新曲で、ここでアナスタシアは13話1stシーズンラストの回想をする。CPのみんなで見上げた美しい星空。あの瞬間に共有した想いを更なる冒険の場で昇華する為に歌う。その想いは新田美波に繋がり今回もまたCPメンバー全員に共有される……はずだった。

 だが違う。そもそもあの時、卯月だけは「アイドルみたいですね」「夢みたい」と実感のないことを言っていたのだ。みんなそれを笑ってスルーした。あの感動の1st最終回で本当に共有していたのはその罪なのだ。(あの時、アナスタシアと卯月が両端にいてアナスタシアには卯月の気持ちを察せるはずもなかった、というのがここまで見越しての仕込みだとしたら本気で怖い)

 更にライブを通じてCPメンバーは圧倒的な成長を見せていく。新たなユニット、ソロでの存在感、突然のアドリブトークにも動じない精神力と話術。新たな可能性の象徴であるトライアド曲の流れるなかで、クローネのメンバーに先輩としてそれぞれアドバイスもこなす。一番臆病だった智絵里がコミュ力最強クラスの大槻唯の手を取り自作のおまじないを教える!!

 その絆は確かに、美しく輝く星の煌めきだった。近くで見れば目も眩むほどに。

 だから……誰も気付かない。トライアドへのアドバイスの時、3話の小日向美穂のポジションを継いだはずの卯月が、まったく小日向美穂のメンタルに追いついていなかったことに。いや、むしろ最初は同じ場所にいたはずなのに、今や遥かに後退してしまったのだということに。

 「お仕事を楽しむ」「いつも笑顔でいる」、CPメンバーのなかで誰よりも最初からアイドルだったはずの卯月が立ち止まり巻き戻っていることに、誰も気付けない。

 

 前に進むとはそういうことなのだ。

 冒険をするとはそういうことなのだ。

 前を向けば後ろが見えない。顔を上げれば足元が見えない。歩けば転ぶこともあり、挑戦には常に犠牲がつきまとう。

 気遣いが足りないとか、もっと注意していればとか、そんなのは何か起こってしまってから言われることで、事前に問題を回避できるなら誰も苦労しない。ゲームやアニメじゃあるまいし。

 あんなに周囲に目を配ることに長けている「あんきら」が、まとめ役を立派に果たしてきた美波が、いつもお菓子でコミュニケーションを円滑にしてくれるかな子が、物事の本質にズバッと切り込み突破口を作ってくれるみりあが、莉嘉が、蘭子が、みくが、李衣菜が、アナスタシアが、智絵里が、何故卯月の不調にだけ気付かないのか!?

 

 気付けないんだよ!! 人が集団から脱落する時、集団はそれに気付けない!!

 

 これはもう、人間社会の基本的な話で、そりゃそういうものなんだとしか言いようがない。学校の教室で、会社のオフィスで、日々ごく普通にそういった脱落は起こる。

 そして往々にして、それは「仕方のないこと」として処理される。集団には集団の目的があり、その目的に合致しなくなったものを残しておいても双方に利益はない。落ちてしまったものは大変でも新たな集団を探す。あるいは最小単位で生きていけるように工夫する。

 通常の集団なら、そうなる。

 だがここで、「シンデレラプロジェクトってそもそも何なの?」という、最初期からの最大の謎が立ちはだかってくる。

 シンデレラプロジェクトって何なの?

 それは少女の夢を叶える魔法のプロジェクト。選ばれたのは自力で輝くことのできない灰かぶり達。彼女達を救い出し、「アイドル」という星へと導くのがその目的。

 つまり「シンデレラプロジェクト」とは、そもそも落伍者の為のものなのだ。

 

落伍者救済プロジェクトが落伍者を出してしまったら、自己矛盾なんてもんじゃない、それは紛れもなく自殺に等しい!!

 

 島村卯月の「魔法が解けた」ことにもっとも罪深い責任を負うのが残りの13人である、というのはそういう意味。

(追記。「落伍者救済」というと社会から半自動的に脱落してしまったものに対するセーフティネットのようなものを想定してしまうかも知れないので適切な呼び方ではないとは思うのですが、自分のイメージとして敢えてそう呼ぶ。彼女達は確かにスカウトやオーディションを潜り抜けてきた「普通ではない」才能と魅力を持った存在には違いないが、同時にPとCPに拾い上げられなければその才能と魅力を腐らせていた「自力での輝き方を知らない」石ころだった。卯月や未央が補欠採用であったことや寮で売れっ子アイドル達と共同生活を送りながら燻り続けていた前川みくの感情を思うと、彼女達がCPに救われた、救われなければ終わっていた、という認識は妥当だと思う。だからこそ、白紙撤回を言い渡された時に全員がCPを守るとほぼ反射的に決断したわけで)

(更に付け足すと、「シンデレラガールズ」そのものが765の世界にいるモブアイドル達の救済であり、アニメ「シンデレラガールズ」もまたゲーム内でなかなか脚光を浴びないアイドルに対する救済プロジェクトの一面がある。だから今まさにそこからも弾き出されようとしている五十嵐響子Pなどが荒ぶる)

(更に更に、そこに「スターライトステージ」というアニメからも弾き出された難民受け入れの場所が生まれる。「シンデレラプロジェクト」は常に誰も切り捨てないことを前提に進化する)

 Pはあくまで管理者であり、もちろんプロジェクトリーダーとしての監督責任は大きいのだが、プロジェクトを変質させたのは構成員自身であり、その結果としてプロジェクトの本義を外れて誰かを弾き出してしまったとしたら、その自己矛盾には構成員自身が向き合わなければならない。

 まして「プロジェクトを守る」を大義名分に変化を起こしたのだから。そのせいで自分達のカラーに合わなくなったものを脱落させてしまったら、それこそ「常務と同じ」になってしまう!!

 

 ここで、自分としては「Pと卯月の物語」に関してはすでに解決への道筋が付いていると考えている。それは「1話アバンの伏線」が未だに温存されているからで、恐らくそこにはPが卯月に輝きを見い出した本当の理由、また卯月が何故こんなにも頑張り続けることができるのか、その空虚の奥にある本質が隠されているはず。

 また常務も今回ちょいデレしたことで卯月に対して働きかけを行う可能性が出てきた。それが良い方向なのか悪い方向なのかはわからないが、とにかく卯月個人の問題については今回どん底まで落ち込んだので、あとは上がるだけでそんなに心配する要素はない。次回23話ですんなり解決とはいかなくとも、苦しみ抜いた果てにでももう一度最高の笑顔を見せてくれることに疑いはない。

 

 しかし、今回暴露された「シンデレラプロジェクト」の自己矛盾については、正直どう転ぶのかまったくわからない。

 だって、どう足掻いても解決不能のテーマを設定しているから。

 これだけ現実社会の過酷さとリンクするテーマを打ち出しておいて、それこそアイドルの美しき友情と団結でそれを乗り越えるなんてことが、今更許されるのか?

 また残り話数の不安もある。残り三話だとして、卯月の問題を解決するだけなら少し多いくらいだと思う。だが本気でCPの抱えた問題に踏み込むつもりなら、それは13人それぞれの主義主張や感情まで引き出して念入りに激突させなければならないはずで、そんな余裕が果たしてあるのか? いやそもそも、激突させてまとまるのか!?

 このCPの14人は、個性も目標もバラバラで、歩く速度も向かう先も違うというのが出発点だった。それを1stシーズンかけて一個のチームに育て上げた。だがそこには無理があって、その無理が新たな変化を求めた時に噴出した。

 ならばもう、素直に卒業してしまうしかないんじゃないか?

 そしてCPはまた新たな「灰かぶり」達を迎えて、14人は346の先輩になる。それでもいいんじゃないか? それしかないんじゃないか?

 島村卯月のガラスの靴を拾って届ける王子様役が誰なのかについては今までP説や凛説、常務説まであったけどOPでCPメンバー全員が「王子様衣装になる」ことを考えると、CPメンバー全員が卯月を救う王子様になる、だがその代償として全員シンデレラのままではいられなくなる……という流れはあり得る気がする。もちろん、自分の予想がそのまま当たった試しはないですが。

 けどもし万が一、そうなってしまったらPの立場では切な過ぎるよなぁ。

 何か、何かもう一つ二つ、希望のある予測に繋がる要素はないものか。あるとしたら「シンデレラの舞踏会」なる、現状まったくリアリティのない(だから常務は未だに御伽話との評価を変えない)ワードが本当に力を持ったスペルになるかどうかだよな。

 3話、13話、22話と合同ライブについては描き切っていて、作画や演出の面でもこれ以上やるのは恐らく物理的に不可能なはず。では「シンデレラの舞踏会」って具体的に何やるの? というのは最後の謎にして最後の希望。

 ……ぶっちゃけ、リアル3rdライブに丸投げされてアニメでは描かれない可能性も若干考慮する必要あるけど。

 

 まだライブの内容や突然の濃厚な文香ありすカップリング爆誕など、色々触れたいことはありますが、今回の記事は本当に自分でもよくわからない領域に突っ込んでいてちょっとまとまりがないので一旦終わり。